ボブ太郎の余暇とひとりごと

女子ウケしない、旅とか趣味とか。

ただ、生きることを続けていこうと思った。

こんばんは。

この夏は本当に「いのち」について考える機会が多くて、今でも、毎日考えています。心の整理のために文章にしました。相変わらずの自己満足ブログです。

 

生きること、簡単だけどとっても難しいことだと思う。

心って、自分でも全然コントロールできない。でも生活していくためには心のバランスを維持していかなければならない。

あるときは何も考えなくてもできていたことが、気持ちが沈んでいるときにはすごく難しくて無意味どころか害悪のように思えてしまったりする。

人と話したくない日、うざいくらい誰かと接触していたい日、閉じこもりたい、どこかに出掛けたい。。。自分の心なのに他人のように思う時がある。「え、昨日と同じ人か、わたし?」なんて。

適切な選択肢を見出して、まともな判断ができる。辛いことを回避できる。希望を通すために交渉ができる…当たり前のようにできてしまう人がたくさんいることはわかっているが、そうできる精神状態にあるということは、実はとても不安定で、何かをきっかけに(いや、明確なきっかけなどなく)バランスが崩れてしまう可能性だってあるのだ。絶対に。

 

私は昔から夢とかなにもなくて、無目的で、でも臆病だから「漠とした普通」から外れるのは怖い凡人だ。ずいぶん若いころに、起業した友人が「ボブ太郎はじゃあ、なぜ生きているのか?」と聞いてきたときは「生まれたから」と答えた。今でも同じ返答しかできない。

独身で子もいない、サラリーマンである。ペットもいない。

私がいないと生きていけない人なんていないし、私にしかできないことも別にない。(書いていてちょっぴり悲しいけど事実だし、そういう生活を選んでいるのは自分で、この身軽さが心地よくもあるのです)正直に言えばいま、何らかの理由で死んだとしても人生に悔いなし。楽しかった、ありがとうございました。と思える気がする。

気がするけど…与えられた時間(人生)を私なりに自己満足できるように生きていきたい。そのためにより良い自分になりたいと思うし、必要なもの(や金)を蓄えていきたいと思う。仕事も給与に見合うパフォーマンスをしていきたい。なにかに後ろめたさや恥があるのは嫌だ。サッパリ生きて死にたい。

 

サッパリ生きて死ぬ。それは私の描く理想の人生であり、何より、残された人たちにサッパリ見送ってほしいと思うのである。家族や友人やもしそのとき働いていれば同僚たちに、いい人生だったよねって思ってほしくて。

だから「自分にとってちょうどよい環境・状況」にはこだわりたいし、周りにも「私はいま満足している」ことを伝えていこうと思う。客観的な評価なんて関係なくて、自分的に満たされていることは私にしかわからないもんね。

それができないようなら、ちゃんと具体的に行動して、整えていかなければ。

いまの私はこの生活に満足していて、ここにいられることに家族含めての周囲の環境と自分自身に感謝しています。ありがとう。

 

生きていく=生活をしていくということ

ごはんを食べて、よく眠って、体や住処が清潔であること

それを続けてゆけるのは、当たり前に見えるけど、恵まれたことなんだと思う。

生きていくことを頑張りたいし、大切な人たちにも頑張ってほしい。

頑張れないときは、どうか手を差し伸べさせてほしいと心から思う。そして私もSOSはちゃんと発しよう。大切な人たちのために。