今週のお題「おとなになったら」
ブログ作成画面に表示される「思い描いていた「大人」になれてる?」という文に胸が冷えた。
思い描いていた大人の具体像なんてほとんど覚えていないけれど、「なれていない」ということだけはわかる。なりたい自分になれたと感じたことなんて、ほとんどないのだから。
例えば20歳からが「大人」なのだとしたら、人生は「大人」で過ごす時間のほうがずっと長い。そしてあと数年で、人生の半分を「大人」として過ごしていることになる。だとしたら「なりたい大人」になれたなれないはどの時点で判断するのが適正なのか。
だが最近つくづく思うことがある。大人ってこんなに泣くものなのだろうか。
恥をしのんで話すと、私は異様に涙もろい。若い時なら愛嬌もあるだろうが、40歳も間近の女の涙ってなかなかグロテスクじゃなかろうか。もちろん需要はなかろう。人から伝え聞いたドラマの話でも悲しかったら泣くし、友人の辛い話を聞いていたら泣けるし、仲良しとの別れも泣くし、本・アニメ・映画・芝居・落語などなどでも誰よりも早く長く泣くし、自然の風景、静けさ、クラシックコンサートでも美しさに感動してボロボロ泣いてしまう時がある。
ここまで話すと、共感性が高いとか、感受性が豊かっぽいが、自分のことでも全然泣く。
人から嫌なことを言われたら泣くし、ホルモンバランスでも泣くし、嫌なことをたくさんしなきゃいけなくなったら泣く。思い出し泣きもする。過去2回ほど過呼吸起こした経験もあり。
もちろんもう若くないからめったに人前では泣かない。我慢できなくなるのは心を許している人の前だけだ。社内で私が泣き虫だと知っている人は少ないだろう。けど、大人ってこんなにもベソかくものなんだろうか。。恥ずかしくて仕方がない。人のための涙ならともかく、自分主体で泣くのとか本当にやだ。疲れるし、情けないし。大人ならどーんとしていたいものである。(せめて涙が出ないようにしたい)
いや、これは涙だけでなく感情のコントロールの話のような気もしてきたぞ。
ちなみに友人たちの私の涙へのリアクションは超薄い。(正しい姿勢だ)
涙もろいの直したい。
直したいけど、どうしても堪えられないから、せめて「泣いても逃げない」ようにしている。
それともみんなも私みたいにこっそり涙しながら、毎日を生きているんだろうか。だとしたらものすごく救われるのだけれど。。。
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ところで、泣き虫といえばちいかわだ。
ちいかわが、報酬のために、草むしりや苦手な討伐などの労働を自らもらいにいき、泣きながら頑張って挑戦している。あんなに小さくてかわいいのに。それを見ると私も頑張って生きよう…苦手な仕事も泣きながらでもやるだけやろう…と励まされるのだ。ありがとう、ちいかわ。