ボブ太郎の余暇とひとりごと

女子ウケしない、旅とか趣味とか。

子供のころの初詣の願い事

特別お題「今だから話せること

 

私が子供のころ、世間を震撼させた恐ろしくて許せない凶悪事件があった。

今でも時々ドキュメンタリーや特集番組が組まれる「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」である。

私自身は事件当時はまだ幼かったため、事件の概要も把握しておらず、報道を見た記憶も残っていない。しかし私の母親は少し感受性が豊かで極端な傾向があり、推測するに、日々の報道でそうとうセンシティブになっていたのだと思う。もしくは母には特別厳しい父から強く注意喚起されていたのかもしれない。

 

・知らない人にはついていくな

・お菓子をあげるといわれても近寄るな

・道を聞かれても口をきくな

・名前を教えるな

・外で遊んでいると怖いおじさんがやってきて攫われてしまう

・弟が危ない目に合わないよう目を離すな

などなど、毎日のように言い聞かされていた。

 

そのくせ特に母が遊び場についてくるわけでもなく、子供たちの遊び場になっていた公園に、誰かの親が見張りに来るわけではない。

今思えば、どこまで心配だったのか測りかねるが、まぁ平成初期の牧歌的な田舎はこんなものだった。(のは私の地元だけでしょうか)

 

しかし毎日のように親から言われていると、子供にとって親は法律であり世界のすべてなので、

「いまは運よく捕まっていないだけで、いつか怖いおじさんに攫われる」「怖いおじさんはいつでも私たちのすぐそばにいる」「狙われている」

と、気づけば本気で思っていた。

 

通りすがりのおじさんは「友人の誰かの父」以外はみな恐ろしい。

少なからぬ夜、知らないおじさんに追いかけられたり、攫われそうになる悪夢を見てはうなされる。

 

だから初詣のとき神様にお願いすることはただひとつ。

 

「今年も1年間、攫われませんように。怖いおじさんに会いませんように」

 

10歳ぐらいまで、初詣のお願いはこれ1択だったんじゃないだろうか。しかもえらいもので(?)叶わないと困るので、絶対に願いを口外することはなかった。

散々私に恐怖心を植え付けた母でさえ、まさか正月にお着物を着せられた私が、手を合わせて身の安全を願っていたとは知らないだろう。

 

大人になってからのある日、ふと「こんなことしてた子供、めちゃくちゃ少数派なんじゃないか?」と思った。ほかの人は、どうなんだろう。同じような願い事をしていた人もいるんじゃないだろうか…。少し聞いてみたいような気もするが、考えれば考えるほど、自意識過剰というか、親の影響のすさまじさを感じるというか、とにかくいろんな要素が恥ずかしく、あまり話題にすることはなかった。

 

つくづく「家庭」というのはクローズドな世界だと思う。

子供のころに当然だったことの異質さに気づいたときが、親から与えられた世界を自分で認知した世界が上回ったタイミングなのだろうか。もしかしたらまだ気づいていないだけで、自分の家庭だけの当たり前は存在しているのかもしれない。そしてそれは悪いことばかりではないかもしれない。(世界が見習うべき素晴らしい家庭のルールが、あなたの家にあるかも!)

なかなか難しいかもしれないが、家庭内の話もどんどん話題にして他人と話してみるのは意義があるのではないだろうか。

 

あの頃の自分に、せっかくの1年に1度の機会なのだから、もっと楽しいことをお願いさせてほしかった一方、今日まで無事過ごせているのもご利益のおかげなのかもしれない、とも思う。

なかなか足を運ぶ機会がないが、いつか生まれ故郷の神社にお礼詣りをしに行こう。